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■ 武人埴輪
群馬県太田市飯塚出土の武装した男子の埴輪。
6世紀の製作で高さは130.5cmある。
丈の長い挂甲(けいこう)とよばれる鎧(よろい)と、
ほおと頚部をまもる錣(しころ)のある衝角付き兜(しょうかくつきかぶと)をつけ、
右手に大刀、左手に弓をもっている。
埴輪では唯一の国宝である。
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■ 棚畑遺跡出土の「縄文のビーナス」
長野県八ヶ岳山麓(さんろく)は、尖石遺跡(とがりいしいせき)など、
縄文中期の集落遺跡が多い。茅野市米沢の棚畑遺跡
(たなばたけいせき)もそうした中期の遺跡で、この土偶は集落中央の小さな穴に
完全な形でうめられていた。妊娠しているようなおなかをした豊満な下半身には、
縄文人の豊穣をねがう気持ちが表現されているといわれ、
世界各地の古代遺跡からみつかる地母神「ビーナス」の一種と考えられる。 高さ27cm。
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■ 西都原古墳群出土の家形埴輪
169号墳とよばれる円墳から出土した子持家形埴輪。
墳頂部から舟形埴輪や冑形埴輪(かぶとがたはにわ)などとともに発掘された。
竪穴住居(たてあなじゅうきょ)に切妻造(きりづまづくり)と
入母屋造(いりもやづくり)の住居が方につく特異なものである。
実際に建造されたもののミニチュアかどうかは不明。
高さ54.5cm。
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■ 江田船山古墳出土の金製耳飾り
金製の耳飾りは、鎖をもちいないで心葉形飾りをつけたものや
金環だけのものなど3対出土した。 これはもっとも豪華なものである。
金環からそれぞれ3本の、精巧でことなった作りの金鎖をたらし、
心葉形や円錐形の飾りをつけている。
円錐形金具の先端には色ガラスをはめこんでいる。
長さ14.2cm。
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■ 神戸市桜ヶ丘遺跡出土の銅鐸
弥生中期の銅鐸で、高さは39.2cmある。
表裏にそれぞれ4区画ずつきれいな線で原始絵画が描かれている。
この面の絵画は、左下がスッポンと鳥、右下が臼をつく人、左上が魚をとる人、
右上がトンボとトカゲである。
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■ 委奴国王印
右が印面で、左が全体像。
1784年(天明4)に博多湾の入り口にある志賀島で発見された金印である。
ほぼ正方形の印面の1辺の長さは、約2.3cm。
「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」と読める。
福岡藩の儒者、亀井南冥が、後漢の光武帝が倭の奴国王に
おくった金印であると判定した。
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■ 経塚にうめられた経筒
経塚に経典を埋納するときにつかわれた経筒には、
銅製、鉄製、陶製、石製のものがあった。
これは山梨県の柏尾山経塚に1103年ごろうめられた銅製の経筒。
高さ29cm。
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黒釉(こくゆう)のかかった陶磁器である天目のうち、
窯変(ようへん)により、
器の内外面に銀白色の小さくまるい斑文が油滴のように生じたものを油滴天目という。
窯変とは、釉薬の変色など、窯の中で陶磁器が変化を生じること。
中国南宋時代。高さ12.2cm。
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右が衝角付き冑(かぶと:兜)。左が鉄板を革紐(かわひも)でとじる革綴式
(かわとじしき)のくび頸甲(あかべよろい)。中は鉄板を鋲(びょう)でとめる横矧板鋲留式
(よこはぎいたびょうどめしき)の短甲である。短甲の高さは約43cm。
ほかに革綴式の短甲も出土している。これらは、古墳時代中期(5世紀)のものとされ、
出土品は一括して国宝指定されている。
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大袖付き赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)。
大鎧でありながら胴丸(どうまる)の特徴ももち、「胴丸鎧」ともいわれる。
12世紀後半の制作とされ、社伝によると源義経の奉納品であるが、
制作年はもっとくだるともいわれる。
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石上神宮に「六叉の鉾(ろくさのほこ)」の名で伝世されてきた鉄剣。
全長74.9cmで、表裏に金象嵌(きんぞうがん)の文字が61ある。
表の銘文冒頭に「泰和四年」とあり、これは中国・東晋の太和4年(369年)とされる。
「日本書紀」に、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮・百済(くだら)から献上されたとしるす「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられている。
この写真は裏からみた七支刀。
神宝で一般公開はされていない。
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銘備前国長船住人景光(小竜景光)。
鉄製、長さ73.9cm、反り2.9cm、元幅2.6cm。
鎌倉時代。
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平安時代後半によくおこなわれた瓦経(かわらきょう)は、
粘土板に仏教の経典を線刻して焼きあげたものだが、この瓦経のように、
仏像の胸部に1字ずつ経典を書きこんだものもあった。
12世紀ごろの楽音寺経塚(がくおんじきょうづか)から出土したもので、縦が17.8cm、
横が17.5cmある。
楽音寺経塚は兵庫県朝来郡(あさごぐん)山東町にある。
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上段に水滴(水入れ)と硯をおさめ、下段は料紙箱となっている黒漆塗の硯箱。
燕子花(かきつばた)の花や葉が、蒔絵と螺鈿によりみごとに意匠化されている。
18世紀前半。
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臼杵磨崖仏(まがいぶつ)は4群60体以上の石仏群で、日本最大規模をほこる。
そのひとつ、15体の石仏からなる古園(ふるぞの)石仏群は、
多くが後頭部まで丸彫りに近くほりだされている。
中心の大日如来像は12世紀後半の製作とみられ、
長い間、岩壁面より崩落していた頭部が、1993年(平成5)8月に復元された。
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藤原道長による無量寿院建立ののち、これをまねて数多く九体阿弥陀堂
(くたいあみだどう)がつくられたが、浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂(本堂)は、
現存唯一の遺構である。
横25.3m、奥行約9mのスペースの中に、来迎印をむすぶ周丈六像を中尊
(画面左手)とし、左右に4体ずつの定印の半丈六像を配置している。
これらの如来座像がすべて同一時期につくられたものかどうかはっきりしないが、
平安後期の作例として貴重なものである。
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脱活乾漆という、木や粘土で原型をつくり、漆をひたした布をはり重ねて成形する
技法でつくられている。
像高は3m62cmもあり、天平文化を代表する仏像である。
左右は月光菩薩・日光菩薩。8世紀中ごろ。
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戊戌(つちのえいぬ)年、すなわち698年(文武2)の紀年銘をもつ
京都妙心寺の鐘と同工房での製作と考えられ、最古の鐘のひとつ。
全体に細身で、撞座(つきざ)の位置が高く、竜頭の付き方も古態をしめし、
国宝に指定されている。
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「古今和歌集」の元永本は、仮名序と20巻すべてがそろう最古の写本。
表は染紙に型文様、裏側は写真の「序」の部分にもみられるように、
金銀の切箔、野毛、砂子を撒(ま)いた華麗なもの。
書は三蹟のひとり藤原行成の曽孫である定実の筆と推定されている。
12世紀。
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「信貴山(しぎさん)縁起絵巻」は平安後期の絵巻物。大和の信貴山に毘沙門天
(びしゃもんてん)をまつった命蓮の奇跡談などを全3巻に描く。
上巻「飛倉(とびくら)の巻」は、命蓮が法力でとばす鉄鉢が山崎長者の
米倉を信貴山上にはこぶが、長者に請(こ)われて命蓮がふたたび法力をつかうと、
米俵だけが空をとんで長者の家にもどったという説話。
この図は、米俵がもどっておどろく家人たち。
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日本では現存最古の刺繍(ししゅう)である。
飛鳥時代の製作時には480cm四方もあったとつたえられるが、
現在は大部分がうしなわれ、ぬいあわされた88.8cm×82.7cmのみがのこる。
仏像や僧侶、飛仙像などが中国六朝(りくちょう)風のタッチで表現されている。
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「伴大納言(ばんだいなごん)絵巻」は、「応天門の変」の顛末(てんまつ)を
描いた全3巻からなる絵巻物。「源氏物語絵巻」「信貴山(しぎさん)縁起絵巻」
「鳥獣人物戯画」とともに四大絵巻と称される。
写真の図は、応天門炎上を知って火事場にむかおうとする
人々が朱雀(すざく)門にさしかかる場面。階段をかけのぼる者、
壇を脇からよじのぼろうとする者、手をつないで門をはしりすぎる親子など、
人物の動きや表情が的確な線でいきいきとえがかれている。12世紀。
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「紫式部日記」を絵画化した絵巻で、藤田美術館や五島美術館ほかに推定
全10巻のうち4巻分が現存する。「源氏物語絵巻」同様、「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」
「引目鉤鼻(ひきめかぎはな)」といった技法や表現がみられるが、
人物を小ぶりにして機智的な構図におさめるなど、新たな感覚がもりこまれている。
13世紀。
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源氏物語絵巻の各画面は、薄墨のデッサンを濃厚な色彩でぬりつめ、
人物の顔貌(がんぼう)や輪郭線を濃墨(こずみ)で描きおこす「つくり絵」の
技法をもちいて描かれている。絵巻物としての連続性はあまりないが、
各画面が独立した絵画として充実しており、「伴大納言絵巻」「信貴山縁起絵巻」
「鳥獣人物戯画」とともに日本四大絵巻と称される。
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この肖像画は藤原隆信(1142〜1205)作とつたえられるやまと絵肖像画の傑作である。
似絵とよばれるもので、端正な顔だちは写生的な描き方によって源頼朝の面影を
よくつたえているものと考えられてきた。
しかし近年、服飾の特徴や美術様式などの研究からこの像は、
足利尊氏の弟の足利直義(ただよし)である、との説が出されている。
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全盛時の平氏が、一族の繁栄を祈願して厳島神社に奉納した「法華経」の経巻。
絵画や金銀によって華麗に装飾されており、平氏の繁栄ぶりをよくしのばせる。
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うつくしい松林の中で、坐禅をくんでいる明恵上人を描いたもの。
自然の中に根をおろした上人の姿は気迫にみち、
松にからんだ藤蔓(ふじづる)の先端まで力がこもっている。
作者は明恵の弟子の恵日坊成忍(じょうにん)といわれる。
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益田家旧蔵の「沙門地獄草紙」と称されるもので、12世紀の制作。
図は、哀れみの心なく、動物をとらえて羽根毛をぬいてたのしむ僧がおちる地獄を
描いた場面。
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衆生(しゅじょう)が死んだあと、それぞれの業にしたがって輪廻(りんね)する
「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅(あしゅら)・人・天」の6つの世界を六道というが、
地獄草紙はそのうちの「地獄」をあらわした絵巻。
「雲火霧(うんかむ)」は、殺生、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)の罪を
おかした者などがおちる地獄で、獄卒によって炎の中になげこまれた罪人たちは、
もえつきては蘇生し、ふたたびなげいれられてはやかれ、ということを果てしなくくりかえすという。12世紀。
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高山寺につたわる白描による戯画絵巻で、甲巻は擬人化された動物たちが
生き生きと描かれる。この部分図はカエルとウサギによる相撲の場面で、
見物のカエルたちだけでなく、なげとばされるウサギ自身もわらっている。
勝敗は二の次の相撲ごっこといったところか。「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻
(しぎさんえんぎえまき)」「伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)」とともに、
日本四大絵巻にかぞえられる。12〜13世紀中ごろ。
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数ある北野天神縁起のうち承久本(じょうきゅうぼん)とよばれる
9巻本絵巻の第5巻部分。菅原道真の怨霊(おんりょう)が雷神となって大音響とともに、
内裏(だいり)の清涼殿にあらわれる。公卿(くぎょう)や随身(ずいじん)たちが
肝をつぶしてにげまどっている。
13世紀前半。
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不動明王は、大日如来の変化身(へんげしん)身であり、正法(しょうぼう)では
教化できない悪人や魔物に対し、忿怒(ふんぬ)の相をして仏法にみちびく仏とされる。
不動明王の姿を1から19まで順をおって思いうかべる修行法を9世紀の学僧安然
(あんねん)らは説いたが、こうした「不動十九相観」にもとづき描かれた画像のうち、
今日までのこっている最古の彩色本が「青不動」の別名で有名な
青蓮院所蔵のものである。
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「粉河寺縁起絵巻」は、平安後期の絵巻物。千手観音像の像立のいきさつとその利生(りしょう)を説いている。ここにしめしたのは利生のエピソードの一部。重病にくるしむ娘を童子(じつは千手観音)の祈祷(きとう)ですくってもらった河内の国の長者は、財宝をつんでさしだした。しかし童子は娘のさしだした下げ鞘(さや)と紅の袴(はかま)だけをとって、「紀伊の国の粉河にいる」とつげ姿をけす。童子をさがして旅にでた長者の一家は、翌年の春、白い川の流れをさかのぼり観音の庵をたずねあて、童子が観音の化身だったことに気づいて感涙をぬぐっている。
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八条宮智仁親王の新殿造営(1590)の際に描かれた襖絵(ふすまえ)で、
のちに屏風に改装されたもの。雄大で量塊性豊かな表現は、
桃山文化の特徴をよくあらわしており、ほぼ永徳晩年の筆とみとめられる。
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六曲一双屏風(各縦1.5m、横3.6m)の大画面に、群生するカキツバタ(燕子花)を
大胆に描ききった、尾形光琳の力みなぎる代表作(写真は左隻)。
金箔地(きんぱくじ)に群青と緑青(ろくしょう)2色という最小限の洗練された
色づかいにも、光琳ならではのセンスがひかる。
1701〜04年(元禄14〜17)ごろの作と推定されている。
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1618年(元和4)、京都建仁寺の正伝院に織田有楽斎(うらくさい)が
つくった2畳半台目の茶室。現在は愛知県犬山城下の有楽苑にある。
炉の前角に中柱をたて、下部を火灯形にくりぬいた板を入れるなど、
独創的な構成になっている。
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東求堂(とうぐどう。
1486)の東北隅にある四畳半の小間。
違い棚(写真左)、付書院(写真右)をもうけた書院造の初期の例とされる。
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正式名称は、日本二十六聖殉教者天主堂。
文字どおり、1596年(慶長元)のキリスト教殉教事件で処刑された26人にささげられた
カトリック教会堂である。フューレ、プティジャン両フランス人神父の設計、監督、
天草の棟梁(とうりょう)小山秀之進の施工により、1864年(元治元)に完成した。
現存する洋風建築物としては日本最古のものであり、国宝に指定されている。
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東をむいてたつ本堂の内陣中央に、当麻寺本尊の阿弥陀浄土変相図
(あみだじょうどへんそうず)「当麻曼荼羅(たいままんだら)」をおさめる
厨子(ずし。国宝)がおかれている。かつて本堂解体修理の際この厨子も調査され、
天平時代の飛天や草花文のデザインの装飾とその痕跡などがみつかり、
本堂設立当初からつたわるものであることが確認された。
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1194年(建久5)に建立されたもので、源頼朝が創建にかかわったとの伝承がある。
安定感のあるこの多宝塔は、多宝塔が生まれた当初の形をもっともよくのこす
最古の遺構で、円筒状の宝塔の上層と下層の上に屋根をつけるという、
多宝塔本来の姿をよくとどめているといわれる。
ここの本尊は快慶作の大日如来座像であるが、
それより古い9世紀の制作という大日如来座像も本尊とされ、本尊が2体ある。
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均整のとれた塔は思わずふりかえるほどうつくしいということから、俗に見返りの塔とよばれる。
初重のみ軒をささえる組物を簡単な二手先(ふたてさき)にして、
三手先を採用した二重、三重よりも平面的な広がりのあるのが特徴である。
丘の中腹にあるため、さまざまな方向からその姿をながめることができる。
長野県中東部、小県(ちいさがた)郡の西部にある青木村。
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安楽寺の三重塔は日本に現存する唯一の八角の塔で、室町初期の建立とみられる。
層階(もこし)のつく初層の内部は化粧屋根裏で、
天井の中央に八角の天蓋(てんがい)がつられている。
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香山公園の北側に位置する、国宝の瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔。
守護大名の大内義弘の菩提として、1442年(嘉吉2)に完成した。
奈良の法隆寺五重塔、京都の醍醐寺五重塔にならぶ、日本三名塔のひとつである。
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首里城の外門。創建は、尚清王(1527〜55)の時代とされる。
門にかかげる扁額(へんがく)の文字によって呼び名に変遷があり、最初は待賢門、
首里門とよばれていた。現在の呼び名は、「守礼之邦」の扁額がかかげられたことによる。1933年(昭和8)に国宝に指定されたが、第2次世界大戦で焼失した。
58年に復元、72年に沖縄県文化財に指定された。
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閑谷学校は、17世紀後半に岡山藩主池田光政が、一般庶民の教育のために
創設した日本最初の郷校。おもに朱子学をさずけた。
本瓦葺(ほんがわらぶき)、入母屋造(いりもやづくり)の国宝の講堂にくわえて
聖廟や文庫などの施設がのこる学校建築史上も貴重な遺構であり、
特別史跡に指定されている。
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富貴寺は718年(養老2)仁聞の開基とつたえられる天台宗の寺。
大堂は平安時代後期の12世紀ころにつくられた代表的な阿弥陀(あみだ)堂建築である。
内陣の須弥壇(しゅみだん)には平安時代後期の作品で重要文化財の
阿弥陀如来座像が安置されている。
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15世紀前半に上杉憲実が学校としてととのえて以来、易学、
儒学などが研究の対象となった。左の建物が孔子廟(こうしびょう)である大聖殿。
1990年に庫裏(くり)などが江戸時代の姿に復元された。
手前に土塁がみえる。
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